作ろうと思って作れない、スタンダードソング王、ガーシュイン
Someone To Watch Over Me 1926年 (昭和元年)
この曲が発表された1926年は日本ではちょうど昭和元年に当たります。つまり昭和は64年、平成はこの31年で終わりになりましたから、この歌は今から94年前に作られたということになります。ちょっと驚きですね!最近でも日本の大手不動産のCMに使われていましたが、決して古さを感じさせない、と言うよりもはや作者や年代、ジャンルを意識させない、クラッシク音楽のような曲ですね。
ジョージ・ガーシュインの作品は、オペラやピアノ協奏曲などクラシック向けに発表された作品と、舞台や映画などの挿入歌として当時の世相を反映した流行歌まで多岐に富んでいますが、もともとポピュラー音楽の世界で花開き、一世を風靡したガーシュインの歌曲の数々は、今は“スタンダードナンバー”と呼ばれ、その数は恐らく50曲近くに上るかと思われます。それらの名曲は、どれも“珠玉”と呼ぶにふさわしい、時の流れに色褪せることなく、逆に時がその真価を浮かび上がらせたようであります。それにしても、これだけの名曲が揃いますと、その中でもとか、とりわけという話になり、知名度で言えばあの曲、ジャズ史的にはこの曲などといくつか名前が挙がるであろう中、やはり「広く、長らく人気を保つガーシュインの代表曲は何か?」と問われると、この“Someone To Watch Over Me”は頭一つ抜けているように思われます。
スタンダードソングの大きな魅力の一つに、時代々々のアーティストによる異なった解釈、またユニークな味付けによる演奏で、その歌が何度となく、まるで新しい作品のように生まれ変わることにあります。そんな生粋のスタンダードと呼ばれる曲は、元々楽曲に幅広い普遍性があり、完成度も高く、その上に他にない独自性、「らしさ」というものを持ち、それが長く人々の記憶に残り、国境も世代も超えてゆく鍵となっているようです。それではガーシュインソングの独自性は何か考えますと、まず言うまでもなく天才作曲家ジョージ・ガーシュインによる、朗らかさと優雅さを併せ持つ情緒豊かなメロディー、軽快で浮き立つようなリズム感、そしてその旋律にまさにこれしかないというくらいピタッと当てはめられた歌詞=兄アイラ・ガーシュインによる知にあふれた言葉、ではないかと思います。
ガーシュイン兄弟の活躍した、1910年代半ばから30年代のアメリカは、大衆音楽=ポピュラーミュージックという新しいジャンルの音楽が開花した真っ只中でした。巷の劇場では人気のミュージカルショウから数多くのヒット曲が生まれ、ナイトクラブやダンスホールではジャズバンドが、粋でノリのいい音楽スタイルを次々と誕生させました。またラジオ、レコード産業も社会に広く浸透、消費社会の到来と共に、アメリカンポピュラーミュージックは世界中に飛び火し、発展していきました。そしてその舞台裏では、多数の作詞、作曲家チームによる楽曲の創作が活況を極め、今でも耳にする歴史に残る名曲が次々と世に送り出されました。その中でも、現在までガーシュイン兄弟と並ぶ程の多数のスタンダードナンバーを残しているソングライターというと、アービング・バーリンとコール・ポーターの二人位で、彼らはいずれも作詞作曲の両方を自分一人で行っています。
彼ら“ビッグスリー”の歌曲は、もちろんそれぞれ独自の魅力に素晴らしいものがありますが、概ね歌詞とメロディーがぴったりと調和し、言葉と旋律の運び、抑揚がとても自然に聴こえるという共通点があります。シンプルな曲は素直で聴き易く、かと言って陳腐に聴こえることは決して無く、またひねりの効いた曲も、そのエッセンスが頭で理解される前に、耳に馴染み、体に響く。まるでそのメロディーと歌詞は対にして創造の泉から湧き出たような、歌というものの本質を教えてくれるような完成度です。
一般大衆に向けて、音楽が初めて大量に生産、消費されるようになった時代、限られた時間と制約の中で、後世まで人々の心に残る芸術性豊かな楽曲を創作するために、バーリンやポーターが、言葉と旋律をひとつの頭の中から同時に絞り出せたことは、優れたひらめきや個々のアイデア以上に他のソングライターチームに対して大きなアドバンテージであったものと考えられます。同様にガーシュイン兄弟についても、その血縁関係という固いつながりを、作詞作曲とういう蜜で、デリケートな共同作業に最大限利用できたこと、寝食を共にし、終始ピアノとその傍らに置かれた机に向い合って創作活動に没頭したことは、100年近く経った今、もはや誰にも真似のできない、不朽のスタンダードソングオンパレードという形に結実したと言えるのではないでしょうか。
“Someone To Watch Over Me”は歌詞の中で、未だに姿を見せない未来の恋人を“羊飼い
のシェパード犬”に例え、その出現を切望します。麗しいメロディーに乗せた、待ちわびる身の切なさと期待が入り交じる心情は、何度聴いても心揺さぶられますが、この歌の主人公の“小羊”と“番犬シェパード”は、まるで天性で駆け出し、自由奔放な美しいメロディーを創り出す“弟ジョージ”と、その後を付きつ離れず、彼の音の足跡にはまるキーワードを探り当てる“兄アイラ”の姿に置き換えてみるのも面白いのではないでしょうか?
最後に、誠についでながらで恐縮ですが、ちょっとその素晴らしいキーワードを日本語に置き換えてみたのですが、もしご一聴していただけましたら幸いと存じます。